ファッショナブルなショップが軒を連ねるアントワープのナショナルストラートを少し歩くと、ノスタルジックな雰囲気のヴァン・ヘック・ワッフルハウスがあります。1905年創業の老舗ワッフル屋で、スタンド販売からスタート。昔はこのエリアにはパブが多く、飲みに来た人たちが小腹をすかせたときスナックとしてワッフルを食べていたそう。後に店舗が建ち、1940年代にはヴァン・ヘックの娘夫婦が店を引き継ぎ、現在ではオーナー兼シェフのズルツァ・ミトロヴィッチさんが経営しています。
「この人は毎日来るでしょ。この人は月曜日以外毎日。この人は毎週土曜日に必ず来るわ」と一人ひとりの客の肩をたたいて挨拶をするズルツァさん。ほとんどの客が常連さんで、中にはなんと40年も通っているおばあさんもいました。ズルツァさんがこの店で働き始めて7年、慣れない初めの頃は長年の常連客がつくり方の秘訣を伝授してくれたそう。
地元客に支えられるヴァン・ヘックは、オーナーが変わってもつくり方は変わらず、また店の名前とインテリアも昔のままで、まるでここだけ時が止まったような空間。60年代風のアットホームな雰囲気で、壁にはワッフルをつくる鉄のアイロンのレプリカや昔の写真がかかっています。
ズルツァさんは旧ユーゴスラビア生まれの移民。何も持たずにベルギーにやって来たという彼女は、料理学校にも通わず、ワッフルづくりの全てを、目で見、舌で味わい、がむしゃらに覚えたといいます。そんな彼女は自信を持って、「私のワッフルほど美味しいものは、アントワープ中探しても無いわよ」と言うのです。その秘密は?とズバリ聞いてみると、なんといっても100年以上引き継がれた鉄のアイロンと、必死で覚えたつくり方の「感覚」だそう。
他の多くのワッフル店が電気式のアイロンを使っているのに対し、ヴァン・ヘックでは温度計もタイマーもついていない、昔ながらの鉄アイロンを使っています。一日中絶えずガスで熱され、 黒く重い鉄のアイロンを片手に取り、においやフィーリングを頼りに温度を量ります。生地をかきまわす力加減から、ワッフルをひっくり返すタイミングまで、レシピに頼らず感覚で判断することが一番むずかしい、とズルツァさん。時間が経つとふわふわと盛り上がっていた生地も水のようにさらさらになってしまうため、つくり置きもしない。少しでも形が気に入らなければ、またつくり直す。朝7時から下準備をはじめ、混む時間になる前に再度1人食料庫や冷蔵庫となっている地下へ行き下準備をこなす。生地をかきまぜすぎてコチコチに硬くなってしまった右腕は、たまに注射を打ってほぐさなければならないほどだそう。
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