妊娠6週目で病院を受診し、「胎嚢はあるけれど赤ちゃんが確認できない」と言われました。
もしや成長が遅れているだけかも――そんな微かな期待は、次の診察で「稽留流産です」と確定された瞬間に崩れ去りました。
「手術をするか、自然排出を待つか」と医師から選択を迫られたものの、全身麻酔への不安や心の整理がつかず、私は葛藤していました。
夫の「仕方ないよ」に感じる温度差
最初に夫に「流産が確定した」と伝えたとき、「仕方ないよ」と一言だけ返されました。
傷ついた気持ちを話そうとしても、その話題には踏み込もうとしない夫。
それでも術前検査や手術日程の都合があるため、私は思い切って手術を決めることに。
医師からは「当日は全身麻酔で体力も落ちるから迎えが必要」と言われ、夫の休みに合わせて日程を調整しました。
「自己都合を押し付けるな」と突き放される
「手術の日は休みだし、迎えをお願いしたい」と伝えた途端、夫は怒りだしました。
「俺に休日出勤しろってこと? 手術日程を勝手に決めたのはおまえだろ」「自己都合を押し付けるな」。
まるで私の手術が夫の負担でしかないように思われていることに、言葉を失いました。
私にとっては大切な手術、失った命と向き合う最後の儀式のようなものなのに――。
流産の悲しみを“わがまま”とされる虚しさ
「流産は私の自己都合なの?」夫の言葉が頭をぐるぐる回り、胸が締めつけられます。
つわりのような吐き気や下腹部の痛みはまだ続き、体は妊娠の状態から抜け切れていないのに、肝心のパートナーに支えを求められない現実。
結局「迎えに行くのは別に構わない」と言われましたが、もう頼む気にはなれませんでした。
求めすぎ?それとも当然の思い?
もちろん、男女で妊娠や流産の実感には差があるでしょう。
夫がどう感じようと自由かもしれません。
でも、私としては命を失った悲しみと手術への不安をもう少し理解してほしかった。
「あなたにとっては取るに足らないことでも、私にとっては人生の大きな出来事なんだ」と叫びたいのに、冷めた視線を前に言葉がのどに詰まります。